香川県で観測史上最大の被害をもたらした1899(明治32)年8月28日の台風
-死者300人以上、家屋全壊7000棟以上の大災害-
1 はじめに
 香川県に於いて1892年(明治25年)に多度津で気象観測が始まって以来、最大の被害をもたらした台風は、表1に示したように1899年(明治32年)8月28日の台風である。この台風の中心は高知の西部に上陸し、北北東進して四国地方を縦断し、多度津付近を通過した後、さらに中国地方を縦断して日本海に抜けた。この台風は各地に大きな被害をもたらしたが、香川県での被害がもっとも大きく、死者・行方不明者300人以上、全壊家屋7000棟以上に達した。

表1 香川県において死者・行方不明者10人以上の被害を生じた台風災害

図1 台風中心の経路
2 1899年8月28日の台風による被害
 香川県における被害状況は、再調査してみると、表1に示されているものより、全体に大きく、死者317人、行方不明9人、負傷者1295人、全壊家屋7112棟、半壊家屋2198棟となった。この被害のほとんどは強風によるもので、死者は東亜期した家屋による圧死である。死者数、全壊家屋数を当時の政治区域ごとに示すと図2のようになる。台風の経路から数10㎞右側に離れた綾歌群と香川郡での被害が大きかった。被害を人口と戸数に対する割合で表すと、図3のようになる。綾歌郡と香川郡ではおよそ1割の家屋が全壊し、1000人に1人の割合で死者が出たという大災害であった。当時の新聞には救護所の設置や義援金の募集などが報じられている。
図2 1899年8月28日の台風による群・市別の死者数および前回家屋数 図3 1899年8月28日の台風による死者数・全壊家屋数の割合
3 台風の特徴
 この台風が多度津にもっとも接近した8月28日21時の地上天気図を図4に示す。この台風は規模が比較的小さく、また、多度津付近を通過しているときの中心気圧は965.1hPaでったと推定され、特別な台風ではなかった。しかしながら、この台風は非常に強い暴風を伴った特異な台風であった。多度津測候所では最大風速52.5m/sという値が観測されている。ただし、風の観測方法が現在と異なるので、この観測地は今日の観測方法による値に換算すると、32m/sに相当する。それでも、この台風は香川県における観測史上最大の平均風速を生じたことになる。
 この台風の移動速度は80~96㎞/hと平均的な台風に比べて2倍くら速かった。台風が移動している場合、風速は進行方向に対して、左右の被害対称性を生ずる。地表面の摩擦がないとした場合、台風の中心を通進行方向に対して直角な断面における風速分布を図5に示す。21時における中心気圧低下量42hPa、最大風速半径41km、台風の進行速度96km/sで計算した風速分布を実線で示す。この場合、平均的な台風(最大風速半径96km、進行速度40km)に比べて、最大風速半径が小さく、進行速度が大きいため、進行方向の右側の風速が大きくなり、台風の中心から30~60km離れたところで45m/s以上の強風域が生ずる。実際の風は地表面摩擦の影響を受けるのでこれより小さな風速になるが、風速分布は、台風の中心経路から離れた、綾歌郡、香川郡で大きな風災を生じたこととよく対応している。
  この台風は規模や中心気圧の面からは特別な台風ではなかったが、移動速度が異常に速く、そのため台風の進行方向右側で異常な強風が発生し、当時の家屋の耐風性が低かった事も関係して大きな風災が発生したものと考えられる。
 過去にこのような事例があることは、今後も香川県でこの例のような暴風が吹く可能性があることを示している。

図4 8月28日21時の地上天気図

図5 台風中心を通る進行方向に直角な断面における風速分布。実線がこの台風の21時の場合。

加川(土田)美樹(満濃南小学校)
森 征洋(香川大学名誉教授)